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「この家は北側に湿気が強すぎる」「土台が弱そうだ」「水平が狂ってきている」「水まわりの床下が腐ってきている」などという彼の説明を不動産業者が聞くと、
そのとおりの問題があることが多いのだ。
私たち夫婦が買った二軒の中古住宅についても、リフォームの際に大工さんと話して、彼の感覚が正しかったことを知ることになった。
もちろん、誰もが夫のように自信を持って自分の感覚を信じられるわけではない。
けれど、食べ物の賞味期限を知るのに、私たちは「においを嗅いでみる」「ちょっとだけ食べてみる」という方法があることを忘れてはいなかったか。
家を探すときに、条件や見た目だけで判断せずに、自分の感覚に訊いてみる、という作業をきちんとしているか。
家相という知恵に頼るわけでもなく、自分自身の感覚や知恵も磨かずにいたら、欠陥住宅にあたってしまってもしかたないのではないだろうか。
欠陥住宅は、そういう住み手の怠慢に乗じてはびこっているのだと思う。
家を探そうと思ったら、まず住みたい家や土地で、自分の素直な感覚を全開にしてみよう。
感覚と心で、家と対話してみよう。
そして、「うん、この家とならうまくやっていけそうだ」と思ったら、そのつぎに真剣に条件を検討すればいい。
いくら条件がよくても、「あ、この家は気分がよくない」とか「この土地は雰囲気が暗い」「この家とは会話ができない」と思ったら、やめるにこしたことはない。
知り合いの大工さんは、「欠陥住宅になるのは、たいてい地盤が悪いからなんだ」と言っていた。
きちんと造成していなかったり、土地じたいが住宅に向かないところに、ふつうの土地に建てるようなやり方で家を建ててしまうから、
家が傾いたり、湿気がのぼってきたりしてしまう。
「そういう土地には、そういう土地での建て方があるんだ」と大工さんは言うけれど、いまどきは、そんなにていねいに家を建ててくれる業者は少ない。
見映えがきれいに建っていても、自分の感覚を信じてみよう。
物がありすぎてもなさすぎても、くつろげないすっきり快適シンプルライフがいい。
そんなイメージを持っていないだろうか。
私は、よく「捨てる」こととはどういうことか、と訊かれる。
そのときに、「物が多いのはいけないことですか?物が少ないのはいいことですか?」と尋ねかえす。
すると、みなさん、ちょっと考えて、すぐ「そうか、物の量は関係ないんだ」と気づかない場合が多い。
物が多くても、自分にとって必要なものや大切なもの、使いこなしているものばかりなら、それは快適ですてきな暮らしだ。
物が少なくても、使いもしないものが飾ってあるような部屋は、ぜんぜんかっこよくない。
そんなあたりまえのことを、あまりにも豊かに物がありすぎるから、私たちはちょっと忘れてしまっていたらしい。
すっきりと拭き清められ、物が表に出ていないむかしの武家屋敷のような住まいは、ある人にとっては快適なのだろう。
でも、私には物足りない。
すっきりとはしていても、そこでは私はくつろげない。
かたや、ヨーロッパの老人の部屋みたいに、壁一面に写真が飾られ、棚の上にもちまちまと思い出の品やきれいなものが飾ってある住まいも、
ある人にとってはきっといごこちがいいのだろう。
でも、私には息が詰まりそうだ。
棚の上のごちゃごちゃをざーっと捨ててしまって、お気に入りの花入れと照明器具だけを並べておきたい。
壁の写真も外して、好きな絵を二、三枚だけかけておきたい。
人それぞれ、ちょうどよい物の量がある。
使いこなせ、耐虞が行きとどく量だ。
それが、その人にとってのいごこちのいい物の量なのだ。
それは、「あるとしあわせな量」といえる。
同じように、人それぞれ、ちょうどよい家の狭さがある。
家族の人数や生活のスタイルによって、そしてその人たちの使う物の量によって、その広さをじゅうぶんに使いきれる狭さ。
それ以上広くても手に余る、ちょうどよい狭さ。
その量やその狭さに気づくことが大切なのだ。
そしてちょうどよい量を維持しながら、壊れたり使えなくなったりしたら捨て、必要におうじて買い足していく。
その循環を維持していくことは、けっこう快感なのである。
私たちは「シンプル」というと、「すっきり」「装飾のない」「素朴」などといったイメージを持つらしい。
物にとらわれず、お金にもとらわれず、少ない物で満足しながら暮らす、といったイメージ。
でも、シンプルライフが言われだしたアメリカでは、どうもちょっとニュアンスが違うように思う。
英語の意味は、「かんたんな、やさしい」「簡素な、質素な、無知な、愚かな」といったあたり。
物の量は二次的な意味なのだ。
「物が多い」に対しての「シンプル=物が少なく簡素な」がたいせつなのではないらしい。
では、なにに対しての「シンプル」なのか。
私か思うに、それは、世間の価値観に対しての「シンプル」なのではないだろうか。
世の中にはいろいろな価値観がある。
お金がたくさんあるほうがいい、ブランドものを持っているとステイタスになる、東京に住むからにはおしゃれに暮らさなければならない、
流行に乗り遅れると恥ずかしい、部屋は片づいているほうがいい、地位と名誉のある仕事をしていると尊敬される。
それら、私たちが抱きがちな価値観は、基準が世の中にある。
つまり、人からどう見られるかが価値基準になりがちだ、ということ。
でも、人の目を気にしていても、自分のいごこちのよさや、自分らしさはいつまでたっても見つからない。
自分自身に向かいあい、自分の価値観を問いつづけなければ、いつまでたっても世間にふりまわされるだけ。
だから、「自分を基準にする」というシンプルな価値観でいいじゃないか、と考えるのが、「シンプルライフ」なのではないだろうか。
そして、「自分にとって必要な物」と暮らそうとすると、不思議なことに、いらない物をいっぱい持っていたことに気づく。
「ブランドものだから」「安かったから」「便利だと聞いたから」「人からもらったから」。
それは、世間の価値観のために持っていた物だ。
ほんとうは、いらない物だったのだ。
だから、シンプルライフをはじめると、嫌でも物の量が減ってくる。
それで「シンプルライフ=少ない物で暮らす生活」となるのだろう。
でも、繰りかえすけれど、物の量は二次的なこと。
もし、あなたが「自分を基準にしてシンプルに行こう」と考えているのならきっとそれはベストだろう。
そう考えて、実践するだけで必要にしてじゅうぶんなこと。
でも、もし、あなたが「すっきりと物の少ないシンプルな暮らしをしよう」と考えているのなら、その前に、「自分にとってちょうどよい物の量」
を選びとることからはじめてみてほしい。
かつて、「日本の住宅にはプライバシーがない」などと、欧米と比較して、いかにも遅れたことのように言われていたことをご存じだろうか。
襖や障子ごしに、お互いがなにをやっているかがすぐわかってしまうなんて。
だから、日本人は個人として確立されないのだ。
そんなふうに、すぐ「みんないっしょ」になりがちな国民性を家のつくりのせいにしてきた。
それで、子ども部屋にはじまって、家が「独立した部屋」の集まりになっていったのではないだろうか。
つまり、とにかくひたすら、家を仕切りはじめたように思う。
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